日記

2026-06-10 14:48:00

くだもの屋時々絵本作家

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最近、ふと思ったことがある。

俺は果物屋だ。

これは間違いない。

毎日果物を仕入れて、並べて、販売している。

でも最近、自分のスマホを見ると少し不思議なことになっている。

果物の写真よりも、実りの森のグレンの画像の方が多い。

売上のことを考えている時間よりも、

グレンが次に何を見つけるのか考えている時間の方が長い気がする。

これは一体どういうことなんだろう。

少し前までの俺は、絵本なんて作ったこともなかった。

絵本作家になりたいと思ったこともない。

それなのに気付けば「実りの森のグレン」を作っている。

果物屋なのに絵本を作る。

冷静に考えると少し不思議だ。

でも最近思う。

グレンは突然生まれたわけじゃない。

ずっと前から自分の中にあったものが、たまたま絵本という形になっただけなのかもしれない。


俺は昔から、大人に対して思うことがあった。

「見えていないな」

ということだ。

子供の頃の俺は、橋本家の末っ子長男だった。

頼りない。

甘やかされている。

周りからはそんな風に見えていたと思う。

でも学校では三年間学級委員をやった。

バドミントン部の部長もやった。

顧問不在の中で関東大会にも出た。

だから余計に思っていた。

人は案外見えていない。

見えているつもりになっているだけなんだなと。

親父が亡くなった時もそうだった。

色々な言葉を掛けられた。

その中には、

「お前には無理だ」

という言葉もあった。

今なら分かる。

悪気があったわけじゃない。

ただ見えていなかっただけなんだと思う。

だから俺は昔から共感より理解を求める。

共感できなくてもいい。

でも理解しようとしてほしい。

そんなことをずっと思っていた。


この一年、ある中学生を指導させてもらった。

本人は一生懸命頑張っている。

周りも応援している。

それでも結果が出ない。

でも俺には見えていた。

少しずつ変わっていることが。

本人も気付いていない成長があることが。

技術ではなく、体の使い方。

考え方。

見えない部分が少しずつ変わっていた。

そしてある時から、教えた覚えのないことまで出来るようになっていた。

指導しているつもりだった。

でも振り返ると、学ばせてもらったことの方が多かった気がする。

俺は誰かを育てたとは思っていない。

種を渡して、水をあげただけだ。

芽を出したのは本人だ。

ただ、もしその芽が枯れそうになったり、誰かに摘まれそうになったりしたら、その時は全力で守ると思う。


グレンも同じなのかもしれない。

果物の話を書いているようで、本当は種の話を書いている。

まだ見えていない可能性の話を書いている。

誰の中にも種はある。

でもその種は外からは見えない。

本人ですら気付いていないこともある。

だから俺は子供の成長を見るのが好きなんだと思う。

結果じゃない。

変化の途中を見るのが好きなんだ。


そして多分、この一年がなかったらグレンは生まれていなかった。

指導させてもらったつもりだった。

でも本当は、俺の方が学ばせてもらっていたのかもしれない。

果物屋なのに絵本を作っている理由は、今でもよく分からない。

ただ一つ分かることがある。

グレンは俺が作った物語ではあるけれど、俺一人では生まれなかった。

家族との時間。

果物屋として出会った人たち。

子供たちとの時間。

そして様々な出会い。

そういうものが少しずつ積み重なって生まれてきた物語なんだと思う。

だからしばらくは、

くだもの屋時々絵本作家でいようと思う。