日記
くだもの屋の絵本:わたしの好きなこと
今回の「じてんしゃのれるかな?」は、自分でもかなり気に入っている物語です。
なぜ気に入っているのか。
完成した時はよく分かりませんでした。
でも何度か読み返しているうちに、一つのことに気付きました。
どうやら自分は思っていた以上に「結果」より「過程」が好きらしいのです。
自分ではずっと現実主義だと思っていました。
商売をしている以上、数字も見ます。
結果も見ます。
利益も考えます。
だから当然、自分は結果を重視する人間だと思っていました。
ところが、この物語を読み返してみると少し違いました。
この話が生まれたきっかけはシャインマスカットでした。
店に入荷したシャインマスカットを見ながら、いつものように花言葉を調べていました。
すると、
「努力の実り」
という言葉が目に入りました。
その瞬間、ふと思い出した人がいました。
カナンのモデルになった元アルバイトです。
そういえば、自転車に乗れなかったな。
そんな記憶がよみがえりました。
そして「じてんしゃのれるかな?」という物語が生まれました。
この話を書く時に考えていたのは、自転車に乗れるようになる瞬間ではありませんでした。
何度も転ぶ姿でした。
泣いてしまう姿でした。
それでも立ち上がって挑戦する姿でした。
だから絵本の中でも、成功する場面より転ぶ場面の方が多く描かれています。
今思えば、それが自分らしかったのかもしれません。
読み返しているうちに、もう一つ気付いたことがあります。
この物語の主人公は、本当にカナンだったのだろうか。
もしかするとカーヤだったのかもしれません。
カーヤは何も教えません。
励ましもしません。
特別なことは何もしません。
ただ、ずっと見守っています。
実はモデルになった二人の関係もよく似ていました。
少し危なっかしいカナン。
どこか母親のようなカーヤ。
もし物語の中で口げんかになったら、
「そんなに言うならカーヤものってみなよ!」
と言われて、
実はカーヤはもう乗れる。
そんな関係でした。
そして今回、実りの森のグレンでは初めてのことがありました。
グレンが果物を贈り物として使ったのです。
これまでの物語では、
果物を見つける。
果物を知る。
果物を分け合う。
そんな場面が中心でした。
でも今回は違います。
最後にグレンはぶどうを持ってきます。
「努力の実りだから食べよう」
そんな説明はしません。
ただ、いっぱい頑張ったカナンにぶどうを渡します。
それだけです。
後から考えると、それは橋本フルーツの考え方そのものだったのかもしれません。
果物は目的ではありません。
果物は団らんのきっかけです。
誰かを喜ばせるため。
誰かを労うため。
誰かと時間を共有するため。
果物には、そんな役割があると思っています。
今回のぶどうも同じでした。
自転車に乗れたお祝いというより、
頑張った時間をみんなで味わうためのぶどうだったのです。
そして一番驚いたのは、最後の言葉でした。
普通なら、
「じてんしゃのれたね!」
で終わる物語かもしれません。
でも自分が選んだ言葉は違いました。
「いっぱい がんばったね」
でした。
乗れたことではなく、
頑張ったことを褒めていました。
思い返してみると、これは絵本だけではありません。
バドミントンでもそうです。
商売でもそうです。
自分が面白いと思うのは、成功した瞬間ではありません。
芽が出る瞬間です。
変化が始まる瞬間です。
結果より過程。
実より芽。
今回の絵本は、そんな自分の価値観が一番自然に表れた物語だったのかもしれません。
そして今思うのは、この物語の本当のテーマは、
「自転車に乗れるようになること」
ではなかったということです。
本当に描きたかったのは、
「見守ってくれる人がいるから挑戦できること」
だったのだと思います。
転んでもいい。
失敗してもいい。
その姿を信じて見守ってくれる人がいる。
だから人は、もう一度挑戦できる。
「じてんしゃのれるかな?」は、そんな小さな勇気と成長の物語でした。







