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なんだかいい日の作り方
忙しい毎日の中で、「今日はいい日だったなぁ」と思える日は、どれくらいあるでしょうか。
子育てをしていると、朝から夜までやることがたくさんあります。
ご飯を作って、お迎えに行って、お風呂に入って、寝かしつけをして…。
気がつけば、一日があっという間に終わってしまいます。
もちろん、それもとても大切な時間です。
でも、ふと思うことがあります。
「いい日って、何だろう?」
大きなイベントがあった日でしょうか。
特別な場所へ出かけた日でしょうか。
もしかすると、そうではないのかもしれません。
実りの森では、そんなことを時々考えます。
例えば、食卓に一つのみかんがある日。
「いい匂いがするね」
そんな小さな会話が生まれます。
例えば、桃を切り分けてみんなで食べる日。
「なんだか甘いね」
そんな何気ない時間が流れます。
果物って、不思議なんです。
お腹を満たすだけではなく、自然と人が集まるきっかけを作ってくれます。
忙しい日々の中に、少しだけ立ち止まる時間を作ってくれる存在なのかもしれません。
子どもは、大きな出来事よりも、案外そんな小さな記憶を覚えているものです。
一緒に食べたこと。
笑ったこと。
「おいしいね」と話したこと。
そういう記憶が、いつの間にか心の中に積み重なっていきます。
だから、実りの森では、特別なことをしなくてもいいと思っています。
少しだけ立ち止まる。
少しだけ季節を感じる。
少しだけ会話を増やしてみる。
それだけで十分です。
きっと、それが「なんだか、いいひ」の正体なのだと思います。
毎日を頑張るお父さん、お母さん。
今日は完璧じゃなくても大丈夫です。
少しだけ肩の力を抜いてみてください。
果物を一つ置いてみるのもいいかもしれません。
そこから、何か小さなお話が始まるかもしれません。
実りの森は、そんな優しい時間が流れる場所です。
また、ふらっと遊びに来てくださいね
くだもの屋の絵本:わたしの好きなこと
今回の「じてんしゃのれるかな?」は、自分でもかなり気に入っている物語です。
なぜ気に入っているのか。
完成した時はよく分かりませんでした。
でも何度か読み返しているうちに、一つのことに気付きました。
どうやら自分は思っていた以上に「結果」より「過程」が好きらしいのです。
自分ではずっと現実主義だと思っていました。
商売をしている以上、数字も見ます。
結果も見ます。
利益も考えます。
だから当然、自分は結果を重視する人間だと思っていました。
ところが、この物語を読み返してみると少し違いました。
この話が生まれたきっかけはシャインマスカットでした。
店に入荷したシャインマスカットを見ながら、いつものように花言葉を調べていました。
すると、
「努力の実り」
という言葉が目に入りました。
その瞬間、ふと思い出した人がいました。
カナンのモデルになった元アルバイトです。
そういえば、自転車に乗れなかったな。
そんな記憶がよみがえりました。
そして「じてんしゃのれるかな?」という物語が生まれました。
この話を書く時に考えていたのは、自転車に乗れるようになる瞬間ではありませんでした。
何度も転ぶ姿でした。
泣いてしまう姿でした。
それでも立ち上がって挑戦する姿でした。
だから絵本の中でも、成功する場面より転ぶ場面の方が多く描かれています。
今思えば、それが自分らしかったのかもしれません。
読み返しているうちに、もう一つ気付いたことがあります。
この物語の主人公は、本当にカナンだったのだろうか。
もしかするとカーヤだったのかもしれません。
カーヤは何も教えません。
励ましもしません。
特別なことは何もしません。
ただ、ずっと見守っています。
実はモデルになった二人の関係もよく似ていました。
少し危なっかしいカナン。
どこか母親のようなカーヤ。
もし物語の中で口げんかになったら、
「そんなに言うならカーヤものってみなよ!」
と言われて、
実はカーヤはもう乗れる。
そんな関係でした。
そして今回、実りの森のグレンでは初めてのことがありました。
グレンが果物を贈り物として使ったのです。
これまでの物語では、
果物を見つける。
果物を知る。
果物を分け合う。
そんな場面が中心でした。
でも今回は違います。
最後にグレンはぶどうを持ってきます。
「努力の実りだから食べよう」
そんな説明はしません。
ただ、いっぱい頑張ったカナンにぶどうを渡します。
それだけです。
後から考えると、それは橋本フルーツの考え方そのものだったのかもしれません。
果物は目的ではありません。
果物は団らんのきっかけです。
誰かを喜ばせるため。
誰かを労うため。
誰かと時間を共有するため。
果物には、そんな役割があると思っています。
今回のぶどうも同じでした。
自転車に乗れたお祝いというより、
頑張った時間をみんなで味わうためのぶどうだったのです。
そして一番驚いたのは、最後の言葉でした。
普通なら、
「じてんしゃのれたね!」
で終わる物語かもしれません。
でも自分が選んだ言葉は違いました。
「いっぱい がんばったね」
でした。
乗れたことではなく、
頑張ったことを褒めていました。
思い返してみると、これは絵本だけではありません。
バドミントンでもそうです。
商売でもそうです。
自分が面白いと思うのは、成功した瞬間ではありません。
芽が出る瞬間です。
変化が始まる瞬間です。
結果より過程。
実より芽。
今回の絵本は、そんな自分の価値観が一番自然に表れた物語だったのかもしれません。
そして今思うのは、この物語の本当のテーマは、
「自転車に乗れるようになること」
ではなかったということです。
本当に描きたかったのは、
「見守ってくれる人がいるから挑戦できること」
だったのだと思います。
転んでもいい。
失敗してもいい。
その姿を信じて見守ってくれる人がいる。
だから人は、もう一度挑戦できる。
「じてんしゃのれるかな?」は、そんな小さな勇気と成長の物語でした。
くだもの屋の絵本:今日もぶどうを眺めている
実りの森のグレンの新しいお話で、ぶどうを題材にした物語を作りました。
正直に言うと、今回も最初から深いテーマを考えていたわけではありません。
いつも通りです。
まず果物を決める。
調べる。
そして物語を考える。
実りの森のグレンは、いつもそんな順番で生まれています。
ぶどうを見ていて最初に面白いと思ったのは、
「一つの実なのに、たくさん集まっていること」
でした。
桃は一つ。
梨も一つ。
メロンも一つ。
でもぶどうは違います。
一つの房の中に、たくさんの実が集まっています。
果物屋として毎日見ている光景なのに、改めて考えると不思議でした。
どうしてこんな形をしているんだろう。
そんな疑問から今回の物語が始まりました。
絵本の中でミスター・ポムは、
「春から夏まで、ゆっくり時間をかけて育つんだよ」
と話します。
ところがグレンは、その時間にはあまり興味を示しません。
グレンが反応したのは、
ぶどうの房そのものです。
「ほんとだ!なんだかおもしろいね」
グレンが見ていたのは、
一つなのに、たくさんある。
その不思議な形でした。
そして後になって気付きました。
それはグレンの反応というより、たぶん私自身の反応だったのです。
私は昔から、
「すごい」
よりも
「おもしろい」
に反応する人間でした。
果物もそう。
バドミントンもそう。
人もそうです。
何か新しいものを見つけた時、
「それで何ができるんだろう」
より先に、
「なんだそれ、面白いな」
と思うことが多いのです。
実りの森のグレンも、そんな好奇心から生まれています。
物語の最後でグレンはこう言います。
「いっぱいあるから みんなでたべられるね」
この言葉も、作っている時は特別な意味を考えていたわけではありません。
でも後から読み返してみると、とても自分らしい言葉でした。
私は果物が好きです。
でも本当に好きなのは、果物そのものではないのかもしれません。
果物を囲む時間。
誰かと一緒に食べる時間。
その時間が好きなのだと思います。
スイカもそう。
さくらんぼもそう。
ぶどうもそう。
果物には不思議と「分ける文化」があります。
一人で食べても美味しい。
でも誰かと食べると、少しだけ楽しい。
果物には、人と人をつなぐ力があるように感じます。
実りの森のグレンで最後にみんなが果物を食べているのも、きっとそのためなのだと思います。
考えてみると、橋本フルーツも少し似ています。
果物屋から始まったはずなのに、
ギフトがあり、
法人事業があり、
ECがあり、
オードブルがあり、
そしてグレンがあります。
まるでぶどうの房のようです。
一つの軸から、たくさんの実が生まれている。
そして、それぞれ違う誰かのもとへ届いています。
ぶどうを描きながら、そんなことを考えていたわけではありません。
ただ、
「一つなのにいっぱいある」
という事実が面白かっただけです。
でも物語というのは不思議なもので、作り終わった後に自分自身の考え方が見えてくることがあります。
今回のぶどうの物語もそうでした。
もしかしたら豊かさというのは、
たくさん持つことではなく、
たくさん分けられることなのかもしれません。
そんなことを考えながら、
今日もぶどうを眺めています。
くだもの屋時々絵本作家
最近、ふと思ったことがある。
俺は果物屋だ。
これは間違いない。
毎日果物を仕入れて、並べて、販売している。
でも最近、自分のスマホを見ると少し不思議なことになっている。
果物の写真よりも、実りの森のグレンの画像の方が多い。
売上のことを考えている時間よりも、
グレンが次に何を見つけるのか考えている時間の方が長い気がする。
これは一体どういうことなんだろう。
少し前までの俺は、絵本なんて作ったこともなかった。
絵本作家になりたいと思ったこともない。
それなのに気付けば「実りの森のグレン」を作っている。
果物屋なのに絵本を作る。
冷静に考えると少し不思議だ。
でも最近思う。
グレンは突然生まれたわけじゃない。
ずっと前から自分の中にあったものが、たまたま絵本という形になっただけなのかもしれない。
俺は昔から、大人に対して思うことがあった。
「見えていないな」
ということだ。
子供の頃の俺は、橋本家の末っ子長男だった。
頼りない。
甘やかされている。
周りからはそんな風に見えていたと思う。
でも学校では三年間学級委員をやった。
バドミントン部の部長もやった。
顧問不在の中で関東大会にも出た。
だから余計に思っていた。
人は案外見えていない。
見えているつもりになっているだけなんだなと。
親父が亡くなった時もそうだった。
色々な言葉を掛けられた。
その中には、
「お前には無理だ」
という言葉もあった。
今なら分かる。
悪気があったわけじゃない。
ただ見えていなかっただけなんだと思う。
だから俺は昔から共感より理解を求める。
共感できなくてもいい。
でも理解しようとしてほしい。
そんなことをずっと思っていた。
この一年、ある中学生を指導させてもらった。
本人は一生懸命頑張っている。
周りも応援している。
それでも結果が出ない。
でも俺には見えていた。
少しずつ変わっていることが。
本人も気付いていない成長があることが。
技術ではなく、体の使い方。
考え方。
見えない部分が少しずつ変わっていた。
そしてある時から、教えた覚えのないことまで出来るようになっていた。
指導しているつもりだった。
でも振り返ると、学ばせてもらったことの方が多かった気がする。
俺は誰かを育てたとは思っていない。
種を渡して、水をあげただけだ。
芽を出したのは本人だ。
ただ、もしその芽が枯れそうになったり、誰かに摘まれそうになったりしたら、その時は全力で守ると思う。
グレンも同じなのかもしれない。
果物の話を書いているようで、本当は種の話を書いている。
まだ見えていない可能性の話を書いている。
誰の中にも種はある。
でもその種は外からは見えない。
本人ですら気付いていないこともある。
だから俺は子供の成長を見るのが好きなんだと思う。
結果じゃない。
変化の途中を見るのが好きなんだ。
そして多分、この一年がなかったらグレンは生まれていなかった。
指導させてもらったつもりだった。
でも本当は、俺の方が学ばせてもらっていたのかもしれない。
果物屋なのに絵本を作っている理由は、今でもよく分からない。
ただ一つ分かることがある。
グレンは俺が作った物語ではあるけれど、俺一人では生まれなかった。
家族との時間。
果物屋として出会った人たち。
子供たちとの時間。
そして様々な出会い。
そういうものが少しずつ積み重なって生まれてきた物語なんだと思う。
だからしばらくは、
くだもの屋時々絵本作家でいようと思う。
主人公・グレンのモデルのお話
絵本制作を続ける中で、作者自身が不思議に思っていたことがありました。
実りの森のグレンに登場するキャラクターたちには、ほとんどモデルになった人がいます。
ターゴさんにも。
ミッツにも。
カナンにも。
カーヤにも。
では、肝心の主人公グレンはどうなのだろう。
物語の中心人物であるはずなのに、なぜかモデルが思い浮かびませんでした。
ところが最近になって、その答えが見えてきたのです。
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【一年ほど前に出会った一人の中学生】
私は地元で子どもたちにバドミントンを教えるお手伝いをしています。
「指導」と言うと少し立派に聞こえますが、私自身はあまりそう感じていません。
一年ほど前から、ある中学生の女の子を見る機会がありました。
本人はとても真面目に練習していました。
周囲も応援していました。
それでも、なかなか思うような結果が出ませんでした。
しかしよく観察してみると、少しだけ体の使い方に癖がありました。
実は私自身も以前、同じことで悩んでいた経験があります。
だから改善の方法を知っていました。
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【与えたのは技術ではなく気付き】
私が教えたのは特別な技術ではありません。
根本的な体の使い方についての小さな気付きでした。
すると不思議なことが起きました。
体の使い方が変わると、それに合わせるように技術も伸び始めたのです。
教えた覚えのないことまで、自分でできるようになっていました。
私はその時、改めて思いました。
人は答えを与えられて成長するのではなく、気付きをきっかけに成長するのだと。
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【ふしぎのたねの正体】
実りの森のグレンには「ふしぎのたね」が登場します。
それは知識の種でもあります。
しかし本当に描きたかったのは、気付きの種だったのかもしれません。
ミスター・ポムは答えを教える先生ではありません。
小さな種を渡す人です。
そしてグレンは、その種を素直に受け取ります。
疑問を持つ。
話を聞く。
試してみる。
そして気付く。
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【グレンのモデルが見えた瞬間】
その時、ふと思いました。
グレンは彼女に似ている。
素直に話を聞く。
素直に試してみる。
分からないことをそのまま質問する。
そして静かに成長していく。
思い返してみると、グレンの姿勢はまさに彼女そのものでした。
私は一年間、その成長を見続けていました。
そして気付かないうちに、その姿を主人公として描いていたようです。
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【グレンの素直さの正体】
実りの森のグレンの物語では、グレンはいつも疑問から始まります。
果物を見つける。
不思議に思う。
ミスター・ポムに聞く。
素直に受け取る。
そして自分なりの気付きを見つける。
その姿勢こそがグレンの魅力なのだと思います。
そして、その素直さは私が作ったものではありません。
私が出会った一人の子どもから受け取ったものだったのです。
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【まとめ】
長い間、私はグレンのモデルが誰なのか分かりませんでした。
しかし今振り返ると、その答えは意外なほど近くにありました。
グレンは特別な誰かではありません。
疑問を持ち、学び、成長していく子どもたちの姿そのものだったのです。
そして、その中でも特に強く私の心に残っていた一人の姿が、いつの間にかグレンになっていました。
絵本を作りながら、作者自身が主人公の正体に気付く。
それもまた、ひとつの「ふしぎのたね」だったのかもしれません。
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